適応能力があっても納得いかない日本の文化

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かれんってかなりadaptabilityがいい方(適応能力ある)って自負してます。

というのも、アメリカに行ってすぐもなんだかんだすぐあっちの文化に馴染んでたし日本に帰ってきてもすんなりこっちの当たり前なことに馴染んでた。例えばアメリカではすぐにレギンスで出歩くようになったりご飯も問題なく食べてて、日本に帰ってきたらレギンスで出かけるのは辞めたし胃も日本サイズになったし。笑

でもそれって違和感は感じなかった訳ではなくて、違和感を感じてもまあいいっかってそれぞれのやり方に合わせたり文句をいいながらも合わせてきただけな気もして。日本に帰国して7ヶ月。アメリカでの生活がもうずーっと昔のことに感じるくらい日本に慣れてるけど、それでもたまに「あれ?アメリカではもっと自由で楽じゃなかったっけ?」って思うことがやっぱりある。

 

・化粧もおしゃれもやりたい時にするのじゃだめ?

なんかね、単純に化粧もそうだし、おしゃれもなんだけど、日本ってなんかおしゃれするのが当たり前だし化粧するのも当たり前っていう文化?があるよね・・・けどもはやその文化が強制力がある気がする。

それがねすごい嫌い。だって化粧してなくてもかれんは外に出かけるの別に恥ずかしくない。そりゃ化粧してる方が周りからみたらいいのもしれないけど、かれんはは化粧している自分の顔も化粧してない素顔もどっちも好きだよ(笑)だから大学生になっても就活始めるまでは化粧一切してこなかったし、今だってほとんど化粧しない。

 

化粧もおしゃれも本人がやりたい時にやればいいと思う。やらなかったからって周りがどうこういうものじゃないんでは、、、?例えば、今やっているバイトは過度な化粧はダメだけど化粧してないのもダメっていうルールがあるのがすごい謎。じゃあノーメイクで来るぐらいなら過度な化粧の方がいいのかしら?とか過度の基準は何ですか?って思ってる(めっちゃ嫌なやつだけど笑)

 

あと、髪の毛の色も別になんでもよくない?とか思ってる。トーン5までとかなんの話ってなっちゃう。笑おしゃれを求められるなら、髪の毛の色もなんでもよくない?笑

 

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髪の毛がピンクだったとき

そして化粧をしろ!というなら化粧品にかかるお金と化粧にかかる時間分の時給を支給してほしいよね。笑

だって男性は化粧しないじゃん。女性は化粧する分だけみんな早起きしないといけないし、化粧品のためにお金を使わないといけない。化粧品って高いもん。朝の時間ってすごい貴重だもん。化粧補助・化粧手当がある会社があったらかれん入りたい。

 

・年賀状ってまだいる? 

正直、年賀状ってもう親世代・おばあちゃん世代しかやってないのかと思ってたら、高校生たちが年賀状のために住所を交換していてびっくりした。しかもiPhone持ってる高校生たち。

個人的に年賀状は時間とお金の無駄と思って高校生くらいから来た人にだけ年明けに返す方式に切り替え、大学が海外だったこともあって自然と年賀状は一枚も届かなくなったので今年もやりません。FB・Twitterに書くのなら無料だし、手間もかからないからもう完璧だと思うのだけど、そういったSNSにアクセスのある高校生も年賀状出すのにもう驚きが止まらない。

 

そこで考えたんだけど、年賀状がなくなるといわゆる「日本の文化」がまた一つなくなってしまうことになるのか?この年賀状って、きちんと次世代に伝えていかないといけない日本文化なのか?

なんとなくだけど、残すべき文化なのかもしれないという気持ちもある。年賀状って日本らしい挨拶を普段会わない人にできるものであり、干支が強調されるものでもあるし。。。

けどそれと同じくらい、なくなってほしいと思う気持ちもある。あわよくばこの流れでお中元とかお歳暮といった文化もなくなってほしいなと。

 

・もともとの目的と変わってしまってるバレンタイン 

・・・そもそもバレンタインっていつから女の子が頑張らないといけない行事になったの?!

年賀状と同じくらいバレンタインってめんどくさい。もらったら返さないといけないしだから高校の時、年賀状と同じくかれんはもらった人にホワイトデーに返すという方式を採用していた(笑)それが一番自分も周りも納得のいく方法かなという自分なりの結論。だって「いらない」とかいうのも嫌なやつだし、周りが「バレンタイン〜♪」って自作のお菓子を配って楽しんでいるところで空気を悪くすることに価値があるとは思えなかったから。

 

当たり前だけどアメリカでは何もしなくてよかった。彼氏がいる人たちは彼氏からサプライズされてて、日本と違って女の子は何もしなくてよくて何かもらえるっていうパターン。バレンタインの日、大学うろちょろしてたら、知らない人から薔薇1輪もらったこともあった(笑)

 

年賀状もお中元・お歳暮もバレンタインも、共通して思うのは、そんな日がなくても日頃から感謝を伝える人でありたいっていうこと。そしてそういう日だからって無理やりプレゼントするんじゃなくて、その人にぴったりなものが見つかった時に随時プレゼントするのでいいんじゃないのかなっていうこと。

形式的なものよりも、「その人が頭に浮かんだからあげる・その人に今感謝してるから今伝える」が一番理想だと思うんだよな〜

 

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かれんにも譲れるところと譲れないところがある。これだけは無理っていう文化には無理に合わせない。でも周りの空気を悪くしたり、誰かと衝突するのは自分のエネルギーも取られるから我慢できることは我慢するし、譲れるところは譲る。自分なりの妥協点が作れるなら作る。

今の所、文句をいいつつも妥協点を見つけて日本文化に合わせられているのかな〜という感じ。でも譲れないことがでてきたらどうしたらいいんだろう。その時はまた海外逃亡か?笑。

 

 

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