アメリカに来て何よりもよかったなって思うことは何か聞かれたら多分、自分が自分のことを好きになれたことって答えると思う。
中高時代、常に完璧を目指してた自分は少しでも自分の求めてた結果がでなかったり、思うようにいかなかったら自分のことをせめてた。かわいそうなくらい。
でもアメリカに来てから常に完璧でいることなんて無理なんだな〜って思えるようになった。そう思えるようになった大きな理由は、自分の英語を完璧にするなんて無理だなって思ったから。英語力を磨くことはできるけど、無限にある英単語を全部知るなんて無理な話で、文法が完璧じゃない自分が書いたペーパーなんて完璧な訳がなくて。
完璧を求めてたらきりがないなって思った。それに、中高のテストは答えが決まっている質問ばっかりだったけど、大学では必ずしも答えがある訳ではない問題や課題がでるようになって、一つの正解がある訳じゃないなら完璧な答えなんてない。だったら完璧を求めるのにも限界があるなって感じたから。
いろんなイベントやプログラムに参加して、新しい人にたくさん出会う時も、自分より積極的に色んな人に話してる人がいて、自分ももっと頑張れよって思ったんだけど、あんまりソーシャルじゃなくてもいいじゃんって思えるようになった。
誰とも仲良くならなかった訳でも、誰とも話さなかった訳でもないし、毎日1人でも新し人と話せたらそれで十分だよねって思えるようになった。
日本に長期休みで一時帰国するたびに、また自分が嫌いだったころの自分に戻っていくのがすごい嫌いで、一時帰国は楽しみな反面、憂鬱な期間でもあった。家族に囲まれて生活していることなのか、日本の環境なのか何か分からなかったけど、とりあえず日本に戻ることは昔の自分に戻ることだった。
これが本帰国になったら、どうなるんだろう。っていうのが卒業前から抱えていた不安。せっかくこの3年間で自分が好きになれたのに戻ってしまったらどうしようってずっと思ってた。
で、帰国してすでに2ヶ月。
結論からいうと、そんなに自分が嫌いだったころの自分には戻ってないと思う。なんでかは疑問だけど。
でも、少しは自分のことを嫌いになったりもした。その理由は多分日本での就職活動。昨日読んだこの記事、みんなにも読んでほしい。これを読んで一つ、自分が嫌いになる理由が分かった気がする。
多分、日本の「個性が死ぬ」環境がかれんには合わないんだと思う。個性の塊でいたいっていう思いが強いから、みんなと同じような格好して、口を揃えて第一志望です!っていう日本の就職活動は合わなかったんだと思う。
「そこそこやれる目立たない凡人」が日本では上司に好かれる秘訣なんだって。かれんが目指してるのは「やる時はやる、目立つ個性の塊」だと思う。
かれんが今就職活動を終えてもそんなに自分に肯定的でいられるのはアメリカで手に入れた適応能力が役に立っているからだと思う。自分のadaptabilityの高さに助けられている。日本の就職活動に疑問を思わず、とにかくやりきることができたから。でもそれった多分1ヶ月の短期決戦だからできたことで、日本の友達みたいに3月からずっとやってたら途中で疑問に感じてしまって就活を離脱してたんじゃないかな笑
就職活動ってある意味brainwashing的なところがある気がして。思ってもないことや綺麗事を何回も言っているうちにそれが真実だと思う気がしてくるんだよね。そういうところが本当に怖い。
たった1ヶ月程度の就活だったけど、かれんは自分が何重人格なんだろうって思うことは多々あって、就活って適応能力もそうだし、自分に正直でいたい人にとっては厳しい数ヶ月なんだろうなと。
そしてその就活を当たり前としている日本はもっと怖いなと。
これからしばらく日本にいることが決まっているので、かれんの最大の課題は自分らしさを見失わないこと・個性の塊をどんどん出していくこと、かなと思ってます。
他人と違うってことに引け目を感じたくない、です。
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