私が「かがみよかがみ」に書き続ける理由とメディアへの思い。

ライター
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かがみよかがみでエッセイを載せていただくようになってちょうど1年以上が経ちました。あっという間…!約1年間(2019年11月~)で載せていただいたエッセイはなんと20本。月1本以上のペースと考えると結構書いたな〜という印象。そして少し前には書き始めて1年という節目で、私がかがみよかがみに書き続ける理由をインタビューをしていただきました。

>>自分のために書いていい。たくさん読まれるかどうか気にしないで

今回はここでお話したこととは別に、かがみよかがみへの思いや私がかがみよかがみに書き続ける理由、個人的にかがみすととしてどういう気持ちで関わっているのか、聞かれることが何度かあったのでここに書いておきたいと思います。

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私とかがみよかがみの出会い

初めてかがみよかがみを知ったのはTwitterだったと思います。その後、大学生の友人がかがみよかがみに関わっていることをSNSにポストしていたのを知り身近に感じてエッセイの募集要項を読みました。「かがみよかがみ」という名前に込められた思いが素敵だなと思ったことと、自分自身が日本企業で働き出して思うことがいろいろあったのでそれをエッセイとして記録に残してみたいと思ったことからエッセイに応募してみました。

初めて載せていただいたエッセイは#5年後の私へをテーマに書いた「アラサーの私へ。結婚というものに振り回されないで」。Facebookでシェアしたらたくさんの同世代からコメントをもらいました。同じようなモヤモヤを感じている友人がこんなにいるんだなと思ったと共に、かがみよかがみというメディアの必要性をすごい感じました。そして気づいたらこの1年間で著者のページがどんどん増えていき、たくさんの女性のストーリーが詰まったサイトになっていました。

私がかがみよかがみに書き続ける理由

私はシンプルに、書きたいことがあるから書き続けています。だから気分がのらないときは書かないし、なんか書いてて違うなと思ったらまた気が向くまでずっと放置しています。日本企業に働き始めてもうすぐ3年。そろそろ日本社会に適応して、書くことなくなったかな〜なんて思ってても、まだまだ言いたいことはあるようで(笑)気づいたら20本も書いていました。

かがみよかがみに書き続ける理由の1つは少し先を歩いている人生の先輩のリアルな心情や経験を読むことができるから。私自身が数年後同じような経験をするかもしれない。その時私はどう反応してどう対応するのだろうか。そんなことをよく他の方のエッセイを読みながら考えています。だからこそ、私自身も私が24歳で経験したことを正直な気持ちと前向きな終わり方で綴りそれをエッセイとしてシェアし続けたい。かがみよかがみは寄稿者は18~29歳ですが読んでいる人は年齢を問わないので、誰かに私の経験が参考になれば、少しでも励ましになれば、と思って書いてます。

(ちなみに初めて書いたエッセイはベッドインさんの連載にも取り上げてもらいました。ベッドインさんに「30代の方が20代より楽しいから!」と言っていただけたのはすごく心強かった…)

といいつつも、私がかがみよかがみに書き続ける1番大きな理由は自分自身のため。書くことで自分の思いが整理され、前向きな気持ちになることができるから。そしてそれをブログではなくかがみよかがみで書くのは編集部さんからのコメントがあるから。編集部さんからどんなコメントをいただけるのか、実は楽しみだったりします。

かがみすとの立場から見たかがみよかがみの炎上

かがみよかがみでは性の話などセンシティブな内容も多い分、批判されることも少なくないです。この1年間で何度かかがみよかがみの記事が批判されたり、炎上したりしている場面を見てきました。誰からも愛されているメディアなんて存在しないだろうし、批判されないメディアはないと私は思っています。それでも、自分の好きなメディア・自分が寄稿しているメディアがTwitterをはじめとしたSNS上で批判されているのを見るのは悲しかったです。「傷の舐め合い」や「自己満足」、「共感できない人は省かれる同調圧力がある」と言った言葉が並ぶのをみて、外からみたらそう見えてもしょうがないと思いながらも、辛かったです。

特に悲しかったのは、「かがみすと」や「みらりすと」と呼ばれているかがみよかがみに関わってきた仲間内の批判でした。その大半はかがみよかがみがいい方向に変わってほしいという期待を込めての投稿だったと思います。そんな「みんなで声をあげよう」という流れが若干あった中、かがみよかがみに比較的長い間関わってきた私が一切意見しなかったことに対して疑問に思った人もいて、個人的に意見を聞かれたりしました。

私は前向きでパワフルな編集長をはじめとした編集部、どんなエッセイでも受け入れてくれる器の大きいかがみよかがみというメディアが大好きです。この1年間で私個人が編集部とのやりとりで不信感を抱いたこともありません。だからこそ本名でもなく、顔写真もないアカウントの人がネット上で編集部の対応を批判していても、編集部へ不信感が生まれたりはしませんでした。もちろん、中にはもっともな批判内容もあって、それに関しては編集部がきっと時間はかかってもきちんと対応していただけるのではないかなと思っています。

私がかがみよかがみを必要としなくなる日まで

かがみよかがみのSNSでは批判的な意見などがシェアされることはありませんが、私はこれまで個人的にエゴサして、自分の書いたエッセイに対してネガティブな意見を持つ人がいないかというのをみていました。それは変わらず続けようと思います。

また、朝日新聞社というブランド力を利用されているとも思いません。むしろもし私が利用されているのであれば、私も利用させていただこうというスタンスです。自分にメリットがあると思うから関わり続ける。メリットがなくなれば、去ればいいと思っています。今の私はまだ、かがみよかがみという場を必要としています。だから、かがみよかがみのエッセイに励まされながら、私自身も自分や自分と似た境遇の人が前向きなれるようなエッセイを書き続けたいなと思っています。果たしてそれが30歳になるまでなのか、それよりも先に卒業を決めるのか、楽しみです。

2021年、1本目のエッセイは「#2021私の宣言」で書かせていただきました。気が向いた方はよかったら過去のエッセイとあわせて読んでみてください。Twitterなどで感想をシェアいただけたら嬉しいです:)

今年は何本、かがみよかがみに自分の思いを残せられるかな〜。

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