「どう見られたいか」ではなく「どう見られるべきか」が大事な日本

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社会人生活はじまっていつの間にか1ヶ月。

「Karenが毎日スーツ着てるとか考えられない!」とか「Karenが日系企業?!」とか周りには言われ続け、実際自分も日本企業で社会人なんかやれるのかって思いながらのスタートだったけど今のところちゃんと続いていて。まだ研修中だからなんともいえないけどね。とりあえず研修期間は辞めることなく働けそうです。

 

前回書いたあの2つのメッセージは相変わらずその後、配属ごとの研修になってからも何度もいろんな場で聞いてます。

karenm.hatenablog.com

特にやっぱり一つ目の方。でも、素敵だなと思える価値観を持っている同期を見つけたからその子との出会いを大切にしたいって思ったし、規格外なKarenを同期は受け入れてくれて、たくさん助けてくれているから感謝の気持ちは忘れたらいけないなって思った。

 

もう一つ、研修中にとても心に残ったことがあって。

それが社会人は「どう見られたいか」ではなく「どう見られるべきが」を大切にしろっていうメッセージ。

学生は「どう見られたいか」でいい。自分を主張できる服を着て、自由に発言/発信して、好きな時に勉強して遊んだらいい。でも、日本の社会人は周りからどう思われたいかではなくどう思われるべきかが基準になる。その会社の看板を背負っているということを常に意識して、その企業の社員ならどう見られるべきかで服装も行動も発言も考えないといけない。

自分の個性なんか二の次。まずは会社。常識的に考えて自分がとるべき行動とは・着るべき服とは。それが日本で社会人になるってことなんだ。

 

日本の社会でビジネスマナーというものが存在する理由は「みんなの期待値を揃えるため」なのだそう。なるほどね!って思ったな〜

みんなが求めているレベルが違うくてそれぞれが自分の標準値を基準に行動すると、違和感をみんなが感じ、それが怒りや苦しみになる。だからみんなの標準値・ベースとなるもの(=ビジネスマナー)を設けることによって少しでも衝突を少なくする。

それがビジネスマナーがある意味。だから新人研修でこんなにやる必要あるの?っていうくらい企業はビジネスマナーを教えることに時間とお金を割くんだ。

 

でもそれって本当に正しいやり方なのかな?みんなの標準値を合わせるって、すなわちその人の個性を殺していることにならないのかな?

無理やり標準を作ることによって逆にその違和感に苦しむ人はでてこないのかな?

 

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暖かくて天気がいいと気持ちをポジティブに持っていきやすくなってきたな〜と思う1枚

まだまだ「どう見られたいか」で動きたいと思ってしまう。でも、それは休日にすればいいことなのかもしれない。日本企業で働くって決めたんならちゃんと郷に従うべきなんだろう。

なんとなくだったかもしれないけど、この企業を自分が選んだんだからその選択は絶対間違ってない。きっとここで学ばないといけないことがあって、出会わないといけない人がいたからこの会社を選んだんだと前向きに、ね、。

やるべきことをやらないとやりたいことはできないし、やっていいわけがないんだから今はとにかく研修の期間がもらえていることに感謝して自分ができることをやろうっていうマインドセットにしつつ・・・

9連休のゴールデンウィークを楽しもっと。よきgolden weekを〜

 

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