自分が想像していたアメリカと現実。たまに感じるネイティブとの壁。

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就職活動をしていると面接でよく聞かれるのが、アメリカで苦労したことは?という質問や留学中に直面した問題は何かとそれをどうやって乗り越えたのか?などという質問。

個人的に悲しかったことや辛かったこと、苦労したことはすぐ忘れちゃう性格なのでこういう類の質問が一番苦手!苦労してない訳はないし、おそらく悲しかったこともあるんだけど、この2年ちょっとの生活を振り返って思いつくことがほぼゼロに近いっていう(笑)そこで唯一思いつく出来事が一つだけあるからいつもそのことを話しているんだけど、つい最近新たに似たようなことがあってちょっと悲しかったからここで書くことにした。

 

かれんにとって渡米前のアメリカのイメージって「自由」「多様性」みたいな感じだったのね。「いろんな国やいろんなアイデンティティーを持った人がお互いを尊重して暮らしてる=アメリカ」だとずっと思ってたの。

でも来てみると実際はすこし違って・・・いろんな国の人、いろんなアイデンティティーを持った人はいるし、お互い尊重しているかのように見えるけど、本当はまだまだ差別がある国なんだな〜って感じた。

アメリカにいるかれんは所謂マイノリティ。白人じゃないし英語もネイティブには及ばない。日本にいると、みんなと同じようにしないといけないっていうことに対する居心地の悪さはあったけど日本人のかれんは多数派だったからマイノリティと感じたことがなかったんだよね。でもアメリカに来ると逆で、優しい人や理解のある人がたくさんいる反面、そうじゃない人もいて、居心地が悪いと感じることも何回かあったんだ〜

就活の面接の時に話すエピソードがまさにそれで。

アメリカにきてまだ半年くらいの頃に、先輩に推薦してもらってRA(寮長のようなもの)に応募する機会をいただいて、書類審査に通ったので第二次審査のグループワークに参加することになったの。

RAに応募する人は9割方アメリカ人で、分けられたグループでも当たり前だけど日本人はかれんだけだったし、ネイティブじゃないのもかれんだけ。

与えられた課題をグループで取り組むんだけど、その時の課題内容が架空のRA候補のリストからRAに適任だと思う人材を選べというもの。そのリストの中にネイティブじゃない人も一人いて、かれんはなぜその人が適任であるかというのを自分なりに頑張ってグループに話したのね。でもそのグループのメンバーから聞いたのはネイティブじゃないインターナショナルに対する否定的なコメントばっかり。英語がネイティブ並みに話せないインターナショナルはRAになんかなれないって否定されているようにかれんには全部が聞こえたの。

そんなかんだで打ちのめされて寮に帰り、それだけだったらそんなに落ち込まなかったと思うんだけど、帰った後に友達と会ったら「何か元気ないね、何かあったの?」って言われたからグループワークのことを話したのね。

そしたら、

「僕も日本人の血が流れてなかったらかれんと仲良くしてないよ?」

ってあっさりと言われて・・・

その一言が結構ショックで。グループワークは初めて会った人ばっかりだったのもあったからそんなにだったんだけど、仲のいい友達にすっごくはっきりと言われたのがすっごいがっかりだったな〜その日は寮に帰って一人で泣いたの覚えてる(笑)

で、この時に初めて好きな洋楽1曲分は好きなだけ泣いて、曲が終わったら全て水に流してなかったことにするという癖がついた!

 

この出来事からかれんが得た学びは

①ネイティブじゃないかれんの英語を忍耐強く聞いてくれる人、かれんをネイティブと同じように扱ってくれる友達がいることに感謝する

②日本でマイノリティの人に出会ったら今まで以上に発言の仕方に気をつける

③3分間(洋楽1曲分)泣けばかなりすっきりする

ということ。自分からしたら大したことじゃないと思う発言でも、相手のことを無意識のうちに傷つけているってことが多いから、これまで以上に今かれんを受け入れてくれる人に感謝して、もし自分が多数派になった時(=日本に帰った時)多数派であることをアドバンテージに取らずマイノリティの人にちゃんと平等に対応したいなと思った!

 

2年前にもなるから、今なら、今の自分の英語力ならもうちょっと説得力のある反論をできるんじゃないかな〜と思いつついつもこの話を面接でするんだけど、つい最近またすこし悲しくなった出来事が。

先学期からAcademic Transfer and Advising Servicesというオフィスで働いているんだけど、そこで普段は一緒にならない人とその日だけ働くことになって。その人と入り口の机のところに座ってたらちょうど入り口付近に大きい声で中国語で会話している学生が4人くらいいてね、その時にその一緒に働いていた人が

「なんであの子達アメリカにいるのに英語以外で話してるのか理解できない」

ってかれんに話してきたの。で、おそらくその人はかれんがインターナショナルっていうのを知らなくて多分アメリカ育ちのアジア人くらいに思ってたからそういったんだよね。かれんも大学にいる日本人とはよく日本語話すからこれにはちょっとびっくりで。

もめたくはなかったから軽く「そうなの〜?なんで〜?」と聞くぐらいでその時の会話は終わったんだけど彼女いわく、英語以外で自分の近くで話してるのを聞くと悪口を言ってるんだって思うから嫌悪感を感じるらしい。英語を話せるからあるいは勉強したいからアメリカにいるんだろうから英語で何でも話せばいいじゃんっていうのが彼女の言い分。

半分くらいは納得かな〜。かれんが日本人以外の友達がグループに混ざってる時はできるだけ日本語を話さないようにしてるのはまさに悪口を言ってるとか勘違いされたら嫌だからな訳で。でも知り合いじゃない人が自分が日本語を話してることで嫌悪感を感じることまでは考えたことがなくて、というかそこまで考える必要がないと思ってた。

だって近くにいる人が話してるのが自分のわからない言語だったら悪口言ってるかもってちょっと自意識過剰すぎる気がして・・・

ま、彼女の言ってることも合ってて、アメリカの大学にいるってことはある程度の英語ができるってことだから何も英語で話せない訳じゃないんだし英語で話せば嫌な思いをする人もいなくて一番いいのかな〜って思ったり。実際かれんも、大人数で友達といる時、みんなが中国語で話し出したらある程度はしょうがないんかなって思ってるけどやっぱり結構嫌だったりするし。

 

そんな感じで、たまに感じる「ネイティブ」と「インターナショナル」の壁。自分が勝手にアメリカ(というかニューヨーク)って誰でも受け入れてもらえる場所って思ってたのもあって大したことでもないのに一人で落ちこむっていうことが起こったけどそれも含めて全ていい経験ができていることに感謝です、。

 

 

 

 

 

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